大学生の研究日誌序説

心理学徒の研究日誌。日日是好日。

粟谷佳司 (2008). 音楽空間の社会学 文化における「ユーザー」とは何か 青弓社

3. 粟谷佳司 (2008). 音楽空間の社会学 文化における「ユーザー」とは何か 青弓社

要約
 ミシェル・ド・セルトーの「ユーザー」という概念を中心に, 音楽における空間の主体者の構成について様々な社会理論を援用して述べている。
 アンリ・ルフェーブルの「空間の生産( the production of space)」という概念を下敷きに, 命題を「(社会)空間は(社会的)生産物である」とし, 従来の自然科学の分野で扱われるような無機質的空間のイメージの引き離しを行っている。その上で, 空間における「ユーザーの主体性」がどのように社会や開かれたコミュニティにおいて展開されて行くか, また, その主体のアイデンティティが文化においてどのようにアーティキュレイトされていくかが議論の中心となっている。例えば, ラクラウとムフは, アドルノ, アルチュセール, マクルーハンに代表されるマルクス主義的な予定調和の経済的決定論を批判・回避しつつ, 社会という下部構造とユーザーという上部構造のせめぎあいの問題として, 必然性から偶然性へのシステムの解釈転換を試みている。

批判
 「ユーザー」と「オーディエンス」の違いが途中から分からなくなった。恐らく, 前者は本書のテーマにもなっているので, 音楽における主体的な聴取者を指しており, 後者は従来のアドルノのような受動的な聴取を指しているのかと考えられる。でも, p.89では「オーディエンスによって定義し直され, 利用されることが重要なのだ。」って書かれてあるので, うーん。
 後は, 強いて言うなら, 「感情的共同体」について, もっと記述が欲しかったぐらいか。加えて, 一定の時代の文化であるとされる「感覚の構造」というのが下部構造にあるとして, その中に包摂されると考えられる「感情的共同体」の離散集合の力学的パラダイムの記述もあると, なおよかったかもしれない。

 言いたい事は, ユーザー空間の構成的な空間を構築していくことだと思われたので, 筋が通っていて分かり易かった。

感想
 面白かった。僕は理論重視派なので, 第4章のアルチュセールの重層的決定が図らずも, 経済という最終審級を本質的に仮定しているがために(ontological gerrymandering), 決定論に陥っているという指摘から, 最終審級と重層的決定を切り離し, 「過剰決定」として概念のずらしを図り, できた隙間に偶然的要素として「ヘゲモニー」の構成弁証法的概念を差し込んだのは, 上手くできているなあと思った。「原因が結果に内在している」というのは, これはシステム論, 特に第三世代以降のシステム論と接合するような感じがある。あくまで, 経済という現象は構造内部で引き起こされるものであり, 円環内部での構造で結果は再生産される。構造内部と外部の境目は, 因果律のインプット・アウトプットで説明されるものではなく, 象徴として意味の差異として取り込まれるという事か?ここら辺は, 原著を当たらないと変数の関係がよくわからない所もある。

それぞれの要素が、「全体的部分」として、全体性を表出するものであるような「精神的」全体を有することをまさに前提にする、「その原理として、問題の全体が単一の内在性を持った一つの原理、すなわち一つの内在的本質に還元される」p.99

 

 

音楽空間の社会学―文化における「ユーザー」とは何か

音楽空間の社会学―文化における「ユーザー」とは何か