大学生の研究日誌序説

心理学徒の研究日誌。日日是好日。

【雑感】 毛利嘉孝 (2012). ポピュラー音楽と資本主義 せりか書房

 

 

 

ポピュラー音楽を様々な文脈から捉えなおすという目的で, アドルノマルクス主義的批判理論やレギュラシオン学派の理論を基に, ポピュラー音楽と資本主義の権力関係を明らかにし, そこから「ムシカ・プラクティカ(実践する音楽)」を唱え, 大衆と政治性の双方向的な力の両義性を捉えていくべきだと主張。

日本におけるポピュラー音楽の転換点は70年であり, それ以前のフォーディズムを中心とした規格化された音楽から, ポストフォーディズム体制に移行し, 個々人の心情に合わせた音楽のセグメンテーションが起こり, 消費による自己実現, 音楽への感情移入, 自己の投影が始まったと述べる。

その後, 80年代に所謂「J-POP」というジャンルが成立し, ロスジェネ世代の意志を反映するように, 親密圏化した歌手への自己の投影が始まる。音楽の均質化が再び起こってくる。「創造的(クリエイティブ)」が自分らしさと結びつく。イデオロギーの誕生。

 2000年以降は以下のような音楽の流れが加速化していくのではないかという事であった。

 

Ⅰ音楽の断片化と散逸化BGM化。フレーズによる分節化。

Ⅱテレビやラジオ等のメディアの衰退。インターネット利用率の上昇。タイアップはもう聞かない。

Ⅲ音楽のアクセサリー化・消費サイクルの加速化

Ⅳ音楽のアーカイブ化・消費の長期化

Ⅴ音楽批評の相対的低下

Ⅵコスト低下

Ⅶミュージシャンの副業化

Ⅷライヴの特異性受容の高まり

 

批判

マルクス主義的批判理論を導入してポピュラー音楽を見るという事だったが, イマイチ議論にはあまり上ってこなかったような気がした。アドルノの言うような受動的大衆像ではなく, 産業と大衆が双方向的なベクトルで音楽とポピュラー音楽と関わっていることを指摘する点は割と多く見られたかも。後はもう少し煎じ詰めて, JPOPなどジャンルを自分で絞って分析すると, 割と理論に載った議論が出来るのかも。

後は, JPOPの議論の中でホックシールド感情労働をもじった「感情商品」や本田由紀の「ハイパーメリトクラシー」の概念を絡めて, 感情が商品パッケージ化されていく考察を述べている部分は興味深かったが, 論拠が少なく, いささか走りすぎのような気がした。ただし, これを土台にして考察を深められそうな部分が随所にあり。

 

 

 

感想

そもそもJポップの消費は、受動的に聴くことを通じてなされるわけではありません。視聴は主にミニコンポや携帯プレーヤーを通じて行われるために、音楽は日常的な風景のなかで霧散してしまっています。そして積極的な消費がカラオケという「歌う」という行為によって行われます。ひとびとは受動的になる代わりに、積極的にスターと同一化するのです。そこには、アドルノがみたような疎外はありません。というのもスターも、かつてのように絶対的スターではなく、だれもが潜在的になりうるような身近なスターだからです。

 正直, ここに僕が言いたい事が凝縮されているような。(笑)

結論という結論はこちらからはあまり見えてこなかったが, 内容的には異論が少ない。自分がこの分野の初学者であるのだから当然かもしれないが。

70s以降から歌唱力よりも見た目を意識した歌手やアイドルなどが生誕し始めたらしい。これは80年代以降彼らがCMなどのタイアップによって音楽産業が複合的・モジュール的に構成されていくことの暗示でもあったのがよくわかった。これは, アーテイストがシンボル化(記号化)されていくことをも後押ししており, 歌にちょっとずつ差異化を施してコンスタントに売れ続けるという「差異化」のことが言及されていた。著者は直接名前を出さなかったが, これはまさにボードリヤールの理論であろう。

 また, 音楽が均質化, また, それが90年代以降2000年になるにつれて感情が商品化して流通するのは, リッツア―の議論も直観的に乗っているような感じ。ここからマルクス疎外論浅田彰の「スキゾキッズ」などの自己論と接地できそうなのだが, できるかなあ。

 自分の目標のプライバタイゼーション要因の端緒は見えたか。自分の思ったことを幾らか述べられていたので, 議論の厳密性に欠けることがあるが, 認識枠組みの提供という面から見れば, ありがたい。ここから塑像していこうと思う。

 

P.S. とりあえず, アドルノはやはり僕と考えが近いような気がする。でも, 彼の本難しくてしんどいんだよなあ。まあ, それも何か深淵な気がして魅かれるところなんだけど。難しい文体は安易な思想は寄せ付けない著者の感情がにじみ出てすごく好き。「エセ個性尊重」とか, JPOPイデオロギーと化して, 政治性を隠蔽しているなんて, まんま僕の考えをついている。僕は, それ以上に現在は深刻だと考えていて, 夢や目標が対象化され, その夢や目標を掲げた教育選抜システムから漏れ落ちた人間を, 差別や個人内要因に帰して自分とは関係ないようなフリをして差別化をはかる全体主義イデオロギーがすごく嫌いで, これはかなり問題だと思うんだけど。個々を気遣うようにみせて, 結局は身の回りだけ気遣って, それが裏返しで全体主義として蔓延し始める。心理主義反対。

 

 

ポピュラー音楽と資本主義

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